良かったものの記録

観たもの聴いたもの体験したものの記録を書きます。2024年の目標です。

ワワフラミンゴ「たずね先」感想

 

ワワフラミンゴの公演に久しぶりに行くことが出来ました。出会いは2013年だから、知ってるだけなら大分長くなった!

 

会場が「プーク人形劇場」なのがまず嬉しかったです。いつか行ってみたいところだった。

壁面にプークが辿ってきた歴史、入口には創立者レリーフと、創立者川尻東次が遺した言葉が刻んであったりして、お人形の可愛さだけはなく建物だけで力がある場所だった。劇場は地下にあるのに、さらに奈落の装置があって凄かった。今度は人形劇を見に行きたいなあ、12月は「12の月の贈り物」で、1月は「手袋を買いに」なんだ…

 

 

肝心のお芝居ですが、最高に良かったです。つかみどころがなくて、最初は「どんなお話なんだ?」と理解しようとするんだけど、そもそもそういう理解を求めていないというか、その場にいる人にしか分からない空気を受け取って、それを持って帰る、というのがワワフラミンゴのお芝居だと思っているので(単に読解力の限界なのかもしれないけど)、今回もその空気を思いきり吸い込んで帰ってこれてよかったです。吸い込み過ぎて茫然となりながら見るときもあるけど、そこに時々「カニ」のハサミで挟まれるような一言を投げ込んできて笑わせてくるから面白いんだ。めっちゃ好きだ……

 

劇中基本的に脈絡のない会話が続いていくし、その会話もほとんど着地しないんですけど、なんか、それが個人的な経験に真に迫ってて凄く好きなんです。とりとめのない会話があって、でもそこに生まれる雰囲気が連なって自分の周りの世界って形作られていくし、唐突な会話のようで、でも時々胸が痛くなるような、ずっと忘れられないような言葉が実際にある。

実生活よりも、もう少し乾いていて一見無害感はあるけど、そういう一瞬の間みたいな、会話と会話の間に落ちるあの呼吸を逃さず切り取って膨らませて、みたいな、なんかそういうのを味わいたくてワワフラミンゴに行きたいと思います(放り投げの感想)。

 

Xでも呟いたけど、例えば「濡れるからお風呂に入りたくない」って顔全体を真一文字みたいにして首を横に振りたくなったりとか、温泉入った後はパワーがみなぎった気がするとか、ぼんやりと性格変えたいなって思ったりとか、近道のつもりが変なとこ出ちゃって無駄足踏んじゃったり、寂しい時は街に出て「生きてるぞ」って感じを出したり、わさび乗せすぎたけど「おいしい」って震えながら言ったり、人には理解できない自分の中のルールがあったり、フルコーラス歌いたくなったりお酒飲んで踊れもしないのに踊りたくなったり、そういうの全部が身に覚えがあって、しかも(そこまで深刻ではないにしろ)自分の調子いい時だけになるわけじゃないから、だから面白いのに胸が痛くなる瞬間もある。

嗅覚異常でコーヒー不味くなって、これいつ治るんだろって思いながら今日もまずいコーヒー飲むんだよ。初対面で気まずくなりながらカニラップバトルかましたりするんだよ(実際にはしないけど、そういう心持で会話に挑む)。北朝霞にエビは居ないよ。でも行くんだよ。それしかやりようがないからって、そういう気持ちめちゃくちゃわかる。

 

気持ちや調子のグラデーションの、色の重なってる部分をちょうど芝居にするとこんな感じなんだろうなという内容でした。良かった。もし今後何かの集いに誘われなかったら、「私の分の皿がなかったんだ」と思うことにするよ。でも呪いの錘は作らないよ。ただラーメンと布が切れるハサミの切れ味だけ確認しておくよ。

私にも宇宙からのメッセージ降りてきて欲しい。いつもお世話になっております。

 

 

アフターイベントの合唱タイムは、初手が「かに道楽の歌」でめちゃくちゃ笑ったところに、後ろから小さな子の声で「カニおいち」という合いの手まで入ったので最高最高最高でした。

マライアキャリーの「恋人たちのクリスマス」は楽しそうに歌う牧ちゃんやカニさんの横で(あのレモンマラカスやったんか)、一人虚空を見つめながらハモリを入れているよっちゃんさんが面白すぎてめちゃくちゃ笑ってしまいました。その視線の先になにがあったというんだ

超良かったので毎回とは行かないだろうが何回かに一回はアフターイベントで合唱取り入れてくれないかな。

 

楽しかったー!やっぱりワワフラミンゴ大好き

キ上の空論「緑園にて祈るその子が獣」感想

上の空論「緑園にて祈るその子が獣」 9/14マチネ 本多劇場

 

キ上の空論の舞台を観たいと思いながら気力体力のタイミングを逃し続けていたところに、「是非いらしてください」というDMを出演者さんからいただき、行くことにしました。お声がけくださって本当にありがとうございました。嬉しかったあ

 

本多劇場は二年前のイキウメ「天の敵」ぶり。

「キ上の空論の芝居」ということだけ知っていて、後はほとんど調べずで行ったので(好きな藤原祐規さんが出ることだけ知ってた)最初の10分は出てくる俳優陣にびっくりしつづけた。

久保田さんに日向野さんに佐藤さんに鵜飼さんに久下さんに松永さんに…?2.5次元舞台でお世話になった人勢ぞろいだ(鵜飼さんは千葉県でその節はお世話になりました、松永さんはまだ観れていないけど六角好きとしてお世話になります)

豊田さんは「プロパガンダ・コックピット」、「シデレウス」ぶりだったし、もしかしてあの方は柿食う客の斎藤さん?おわー!を内心一通りやった。どういうキャスティングでこの布陣になるんだろう。また会えて嬉しい俳優さんたちばっかりでした。客層が思ったより若い女性の比率が高かったのはそういうことだったんだな。

 

宗教二世として生まれたマルコとキリコ、マルコを取り巻く人たちの話。宗教二世として生きるマルコの苦しみと、彼に人生を潰された人、マルコの周りで彼に影響を与える人の話。

四つん這いから二本足で立てるようになったから、神様の声が聞こえるようになってしまったんだろうか。立てるようになって、天により近くなってしまったから?いずれにしても、9歳からマルコは「神様」の存在に苦しみ続ける。その苦しみは当事者にしか理解が出来ないし、その苦しみの着地(舞台の終わらせ方としての着地)をなんとなく抽象的に描いてしまうことは果たしていいことだったんだろうか。

今も現在進行形で宗教虐待に苦しんでいる人、自分の身の危険すら感じながら宗教団体を告発している人たちがいるなかで、宗教二世三世問題を取り扱うことの意図はどこにあったんだろうという疑問は残った。だって、マルコとキリコの神様は実在している団体がモデルなのは明らかなんだから。なんか、マルコ個人の人生の問題に終始していいことなのか、そこだけじゃないんじゃないのか?っていうモヤモヤが個人的に残ったお芝居でした。捉え方の違いなのかな。

それぞれの登場人物が語り聞かせるように舞台が進行していくという形で、当然そこには相手がいるけれど、ヒデが「ちなみに、悪いのは宗教でも神様でもなくこの人たち(キリコの性行為を突き上げる幹部みたいな男たち)なので、念のため」みたいな台詞が出てくる。

この台詞は客席に向かって投げていた印象だったし、そうでなくても園子ちゃんにわざわざそんなことを言うのなら、その目配せをする以上はなんか…

勿論、宗教二世が抱える「社会性、人間性の欠落に対する不安」や「自分の抱えるバックボーンで家族は持てるのかという恐怖」みたいな部分はは描かれていたと思う。

でも、島や田舎ならではの閉塞感、いじめや引きこもり、ブラック会社パワハラ問題まで取り扱っておきながら、そこに根差す社会構造の問題に触れることなく「マルコの抱える苦しみ」で終わらせて良いのか?そこに触れることなく宗教二世問題諸々に手を付けて良かったのか?

綺麗ごとなんかでは済まされない、人が七転八倒しながらそれでも生きていかねばならないという人生のグラデーションを描きたかったのなら、別の題材でも描けたのではないか?みたいな、最終的に意地の悪いことまで考えてしまった。単に私が捉えられなかっただけなのかもしれないけど。

 

あと、個人的にマルコの心の澱というか、この芝居で言うなら「獣」の部分を受け止めるのがデリヘルの女の子っていうのもちょっとモヤった。でも、これは本当にリアルなところがあるんだとも思う。全てを捨てて、逃げてきた人間を何を追求するでもなく受け入れてくれるのは、夜の世界の人たちだったというのは聞く話でもある。ある意味そこはリアルなのに…

 

と、散々文句が出ましたが、それでも面白かったです。俳優さんの力でぐいぐい引っ張りこまれる舞台だったのは間違いない。

 

久保田さん、本当に素晴らしかったです。「お月さまへようこそ」ぶりだった。気迫が凄いんだ。舞台の支配力と引力が半端ない。

日向野さんも…!スケステぶりだったの、久保田さん演じるマルコが何を考えているか見えにくい役だった分、余計に乾いた絶望というか、焼け爛れてカラカラになった恨みを抱きながら生きてるんだというのが伝わってきた。本当に良かった。怒りを飛び越えた先にある最早「執着」が声になるとこういう声になるのかと。

 

他の役者さんも素敵で…いつでも飄々としている佐藤さんと鵜飼さんも良かったなあ。リアルだ、友達の距離感として。

 

舞台芸術も素敵だった。いつも雲がかかって、晴れることはない空。大きな月。最後に蛇のように降りてくる樹。なぜかジーザスクライストスーパースターの「スーパースター」でユダが空から降りてくるシーンが思い浮かんだ。そういえば、「緑園」というのはイスラム教における楽園を指す場所だが、こちらも意図するところはあったんだろうか。

 

ちょこちょこ笑いも起きていて、「滑稽な物語」ということを俳優さんからも聞いていたけれど、私自身恥の多い人生を送ってきましたので、ヒリヒリはしたけどあんまり笑えなかったな。これは私自身の問題なので舞台のせいではない。

でも、マルコとキリコの痛みが分からないように、この私の人生も誰かにとってみたら滑稽にしか思えないんだろうな、と思ったらなんだかそれに笑えるなあと帰り道に思ったのでした。もしかして、こういうことをこの舞台では伝えたかったのかもしれないな。

 

鰯の頭も信心から、緑園にて祈る園子が獣

 

観られて良かったです!

QUEEN ROCK MONTREAL (なぜかスピッツの話も少し)

QUEEN ROCK MONTREAL」

2024.2.22 グランドシネマサンシャイン 通常上映

 

 

姉がクイーンが大好きで、誘われたので行きました。グランドシネマサンシャインIMAXレーザーはやっぱり視界を飲み込むほどでかい。ここのスクリーンで観たのはトップガンぶりかな?応援上映の形態もあったのですが、あんまり応援上映が得意ではないのでわざと通常上映にしました。着席観覧のアナウンスがあったんだけど、応援上映の時は皆立って見てるってこと……?


史上最高のパフォーマンスの一つとして1981年のモントリオールで行われたコンサートの模様を、IMAXで観ることが出来ますという、言ってしまえばそれだけのことで、私も単発的にこのコンサートの映像はYouTubeとかで観たことがある。フレディが涙(汗かも)を一筋流しながら歌う「Somebody to love」は特に好きで、たまに見返している。

youtu.be

わかっていてもやっぱり、めちゃくちゃに心を動かされてしまった。

私は舞台の照明器具とか、そういうのが全然わかんないんだけど、舞台装置自体は結構シンプルで、壁のように上下する照明と、白くもうもうと上がるスモークと、爆竹特効だけ。でもそれが凄く洗練されているしかっこいい。クイーンの持つ妖しさや華、幽玄さの表現を活かす舞台のつくりになっていたので、本当に1981年…?となる。

時々メンバーの姿が消えて、スモークの中から現れるところなんて凄く鳥肌立った。ブライアンの掲げるギターと共に天井へ登っていく照明の演出なんてもう、後光がさしましたね!みたいな感じ。

 

フレディが舞台を自由に踊りながら、なんてことないように、でもどこまでもどこまでも伸びてゆくあの歌声。スクリーン越しでも伝わる、「音楽の中で生きている」ようなパフォーマンス。メンバーと楽しそうに歌声や気持ちを合わせている姿。

自分の中に語彙力がなさ過ぎて陳腐な言い方にしかならないのが口惜しいんだけど、本当に彼の歌と彼の存在は「唯一無二」が過ぎた。

時代にも、時間にも全く淘汰されないほどのフレディの歌声、クイーンの生んだ曲があれだけの大音量で聴いてしまえて、一周回って「凄く寂しい」になってしまったのが、なんか……

もうこの歌声に対面で出会えることはない、という当たり前が、あまりにも1981年のクイーンが今の私に響きすぎて、逆に喪失感が募るという経験になった。だって過去のものとは思えないから。

それはきっと、今のブライアンやロジャーも同じで、だからこそ「クイーン」、「フレディ・マーキュリー」という名前や記憶を大事にしているんだろうなと思ってしまう。

 

あと時々ライブを楽しむ観客の顔が映るんだけど、もう時代や国籍関係なく楽しんで興奮してるファンの顔はおんなじだわ、と思って、それがちょっと笑えた。

 

 

 

比べるようなものではないんですが、私は日本のバンドだとスピッツが一番好きで、モントリオールのライブを見ながら何故かスピッツの姿がよぎる瞬間があった。

クイーンのメンバーは、もうスタイルがそれぞれバラバラなんですよね。奔放に楽しむフレディ、コックピットみたいなドラムセットの真ん中でパワフルに演奏するロジャー、優雅にギターを抱えて弾いているブライアン、徹頭徹尾自分の世界に没入しているようなディーキー、みたいな。

それって、スピッツもそうだなと思って。それぞれがそれぞれのスタイルで音楽をやっているし、それを口出ししたりもしない。

そのそれぞれなメンバーが、フロントマンであるフレディ、マサムネさんを凄く信頼している、それで成立しているというのが、ライブを一つ見るだけでも凄く伝わってきた。

以前何かのインタビューで、マサムネさんが「僕は音楽がやりたいんじゃなくて『バンド』がやりたかった」と言っていたんだけど、なんか、クイーンもそういうところがあったんじゃないかな……と思ったのだった。ジョン・ディーコンなんかは、特にそう思ったのかもしれないとか妄想してみたりして。

 

全てが喜びと、「新しいものが生まれていく」ことへの期待のようなエネルギーに満ちたライブだった。そう、凄くエネルギーが満ちていた。まだ新しい音がある、まだ新しい何かがある、というような。観客もそれを待っているような感じ。何かもほんとに楽しかった。

折に触れて、こうやってクイーンの音楽を聴くのも凄く良かったです。知ってはいるけど、またその「良いものを見つけた」という気持ちを味わい直せたような。

 

おわり

 

ディーキーの上下ドラえもん色の服はめちゃ面白かった、なぜあれで行こうと思ったのか

20歳の国「長い正月」

2024年1月24日、25日 配信

 

タイムラインでもタイトルをよく見かけていたのと、SNSよりももう少し近い距離の環境で勧めていただいたこともあり、チケットを取ったのも配信を見たのも超ギリギリ滑り込みで観ることが出来ました。20歳の国という劇団も、出ている俳優さんも誰も何も知らない状態で観た。新年から良い出会い。

 

どんなお話なのか掴もうとする前に、どうやら台詞1つで時が年単位で過ぎたらしいことがわかり慌てて巻き戻し見直した。なるほどこんな感じで進んでいくのかとわかってから、単純にその仕組みが面白かった。カラオケマイク以外の小道具はない、物語の枠組みとしても存在している木村家という「家の記憶」を見てるんだなと思えた。家族にとって、家の中の時間はやけに伸び縮みするものだというのは、個人の体感としても持っているからか、役者さんのマイムや演技だけで時が進むのが逆にシンプルで分かりやすく思えてくる。

 

家の中の空間に、明確に「生」と「死」の場所があるのも、説明されるわけではないのに頭からちゃんとわかって凄いと思った。上から新しい命が降りてきて、死に向かう人は下へ降りていくという構造がわかりやすいなあと思っていたら、アフタートークで劇場入りしてから決まったという話を聞いてびっくりした。家というフレーム、役者さんのマイム、生と死という空間、演劇でしか出来ないことを持って、このお話の強度に繋がっていっていたんだなと

 

あとは、(語弊があるかもしれないが)木村家、田崎家の会話からにじみ出てくるその時の時代背景だったり、登場人物それぞれに抱えた事情を描く塩梅がすごく、良かった……最低限なようで、凄く緻密に会話が重なっていくし、説明なんてなくても、そのこさんが悲痛な顔で「そっちは危ないわ、戻ってきてちーちゃん!」と叫ぶだけで何があったかを私たちは良く知っている(めちゃくちゃゾワッとした)。

 

「長い正月」には当時の歌謡曲が何曲か出てくる。アフタートークでどなたかが「昔の歌謡曲にはパワーがある気がする」と仰っていたけど、それは当時老若男女誰もが何となくでも知っていたし、歌えたからなのかもしれない。どこかの記事でDa pumpの「USA」がヒットした時、「年齢関係なく『カーモンベイビーアメリカ』と口ずさめるような曲が久しぶりに出てきた」というのを読んだことがあるけど、曲の分かりやすさだけではなくて、テレビのあり様や音楽を聴く選択肢が幅広くなった現在では、なかなか「時代」や「また逢う日まで」のような曲は生まれてこない。カラオケで、家族全員が知っていて歌えた曲。その曲には家族の思い出が紐づいている、という仕掛け(?)も、物語の強度だったり、感情の起爆する所に繋がっていたように感じた。

時間も思い出も自在にできるから音楽は凄いなあとか、ミュージカルを見ているわけでもないのに思った。でも、曲の使い方はミュージカルっぽかったよね?アナ雪は「雪だるま作ろう」一曲でアナとエルサの幼少期を描いたけど、長い正月では「時代」で木村家の家の記憶をフィードバックしていたし、「2億4千万の瞳」で10年を描いていたし。ジャパーン

 

役どころでは、春彦さんが好きでした。皆そうなんじゃないのかな。おもむろに歌いだした「また逢う日まで」がでたらめに上手くて笑っちゃった。

長いこと木村家を見守っているという立場なのが、凄く好きでした。あの家が形になった存在だったのかなと思ったけど、そうでもなかったかも。少なくともお話を通して流れている優しさや郷愁を抱えているような役で良かった。あの朴訥とした感じが魅力すぎる。

あとは、私は恐らくすみさんの人生を歩んでいくだろうと思うので、他人事ではなく観てしまった。「長い正月」というウルトラCのタイトルは、すみさんの立場で考えると身に迫る。

子供の面影から見えるかつての父母の姿だったりとか、昔の会話を思いだして一人笑ったりだとか、そういうささやかなことがとてもドラマチックに思えていちいち込み上がっちゃったのは、役者さんの力が大きかったからだと感じる。みんな……すごかった……

 

最後に自分の話。

私の祖父はカメラが好きで、たくさんのアルバムが祖父母の家にあったので、毎回それを開くのが楽しみだった。写真の中にある笑顔から見える家族の歴史。「長い正月」を観ていて、その感覚をおもいだした。

うちにもカラオケがあって、小さいころ姉と歌った記憶がある。多分「ドレミの歌」を歌ってたと思う。

小3の時に大好きだった祖父が亡くなった時、祖母が「○○(私の名前)ちゃんが死んだらおじいちゃんが『よう来たな』って言ってくれるよ」と言ってくれたのを今でも覚えていて、だからすべてが終わって暗転した後の台詞にわかりやすく泣けてしまった。

そういう、自分の中にある良いこと悪いこと含んだ思い出をそっと暖めてくれるようなお芝居だったように思います。

観られて良かった!