良かったものの記録

観たもの聴いたもの体験したものの記録を書きます。2024年の目標です。

QUEEN ROCK MONTREAL (なぜかスピッツの話も少し)

QUEEN ROCK MONTREAL」

2024.2.22 グランドシネマサンシャイン 通常上映

 

 

姉がクイーンが大好きで、誘われたので行きました。グランドシネマサンシャインIMAXレーザーはやっぱり視界を飲み込むほどでかい。ここのスクリーンで観たのはトップガンぶりかな?応援上映の形態もあったのですが、あんまり応援上映が得意ではないのでわざと通常上映にしました。着席観覧のアナウンスがあったんだけど、応援上映の時は皆立って見てるってこと……?


史上最高のパフォーマンスの一つとして1981年のモントリオールで行われたコンサートの模様を、IMAXで観ることが出来ますという、言ってしまえばそれだけのことで、私も単発的にこのコンサートの映像はYouTubeとかで観たことがある。フレディが涙(汗かも)を一筋流しながら歌う「Somebody to love」は特に好きで、たまに見返している。

youtu.be

わかっていてもやっぱり、めちゃくちゃに心を動かされてしまった。

私は舞台の照明器具とか、そういうのが全然わかんないんだけど、舞台装置自体は結構シンプルで、壁のように上下する照明と、白くもうもうと上がるスモークと、爆竹特効だけ。でもそれが凄く洗練されているしかっこいい。クイーンの持つ妖しさや華、幽玄さの表現を活かす舞台のつくりになっていたので、本当に1981年…?となる。

時々メンバーの姿が消えて、スモークの中から現れるところなんて凄く鳥肌立った。ブライアンの掲げるギターと共に天井へ登っていく照明の演出なんてもう、後光がさしましたね!みたいな感じ。

 

フレディが舞台を自由に踊りながら、なんてことないように、でもどこまでもどこまでも伸びてゆくあの歌声。スクリーン越しでも伝わる、「音楽の中で生きている」ようなパフォーマンス。メンバーと楽しそうに歌声や気持ちを合わせている姿。

自分の中に語彙力がなさ過ぎて陳腐な言い方にしかならないのが口惜しいんだけど、本当に彼の歌と彼の存在は「唯一無二」が過ぎた。

時代にも、時間にも全く淘汰されないほどのフレディの歌声、クイーンの生んだ曲があれだけの大音量で聴いてしまえて、一周回って「凄く寂しい」になってしまったのが、なんか……

もうこの歌声に対面で出会えることはない、という当たり前が、あまりにも1981年のクイーンが今の私に響きすぎて、逆に喪失感が募るという経験になった。だって過去のものとは思えないから。

それはきっと、今のブライアンやロジャーも同じで、だからこそ「クイーン」、「フレディ・マーキュリー」という名前や記憶を大事にしているんだろうなと思ってしまう。

 

あと時々ライブを楽しむ観客の顔が映るんだけど、もう時代や国籍関係なく楽しんで興奮してるファンの顔はおんなじだわ、と思って、それがちょっと笑えた。

 

 

 

比べるようなものではないんですが、私は日本のバンドだとスピッツが一番好きで、モントリオールのライブを見ながら何故かスピッツの姿がよぎる瞬間があった。

クイーンのメンバーは、もうスタイルがそれぞれバラバラなんですよね。奔放に楽しむフレディ、コックピットみたいなドラムセットの真ん中でパワフルに演奏するロジャー、優雅にギターを抱えて弾いているブライアン、徹頭徹尾自分の世界に没入しているようなディーキー、みたいな。

それって、スピッツもそうだなと思って。それぞれがそれぞれのスタイルで音楽をやっているし、それを口出ししたりもしない。

そのそれぞれなメンバーが、フロントマンであるフレディ、マサムネさんを凄く信頼している、それで成立しているというのが、ライブを一つ見るだけでも凄く伝わってきた。

以前何かのインタビューで、マサムネさんが「僕は音楽がやりたいんじゃなくて『バンド』がやりたかった」と言っていたんだけど、なんか、クイーンもそういうところがあったんじゃないかな……と思ったのだった。ジョン・ディーコンなんかは、特にそう思ったのかもしれないとか妄想してみたりして。

 

全てが喜びと、「新しいものが生まれていく」ことへの期待のようなエネルギーに満ちたライブだった。そう、凄くエネルギーが満ちていた。まだ新しい音がある、まだ新しい何かがある、というような。観客もそれを待っているような感じ。何かもほんとに楽しかった。

折に触れて、こうやってクイーンの音楽を聴くのも凄く良かったです。知ってはいるけど、またその「良いものを見つけた」という気持ちを味わい直せたような。

 

おわり

 

ディーキーの上下ドラえもん色の服はめちゃ面白かった、なぜあれで行こうと思ったのか