2024年1月24日、25日 配信
タイムラインでもタイトルをよく見かけていたのと、SNSよりももう少し近い距離の環境で勧めていただいたこともあり、チケットを取ったのも配信を見たのも超ギリギリ滑り込みで観ることが出来ました。20歳の国という劇団も、出ている俳優さんも誰も何も知らない状態で観た。新年から良い出会い。
どんなお話なのか掴もうとする前に、どうやら台詞1つで時が年単位で過ぎたらしいことがわかり慌てて巻き戻し見直した。なるほどこんな感じで進んでいくのかとわかってから、単純にその仕組みが面白かった。カラオケマイク以外の小道具はない、物語の枠組みとしても存在している木村家という「家の記憶」を見てるんだなと思えた。家族にとって、家の中の時間はやけに伸び縮みするものだというのは、個人の体感としても持っているからか、役者さんのマイムや演技だけで時が進むのが逆にシンプルで分かりやすく思えてくる。
家の中の空間に、明確に「生」と「死」の場所があるのも、説明されるわけではないのに頭からちゃんとわかって凄いと思った。上から新しい命が降りてきて、死に向かう人は下へ降りていくという構造がわかりやすいなあと思っていたら、アフタートークで劇場入りしてから決まったという話を聞いてびっくりした。家というフレーム、役者さんのマイム、生と死という空間、演劇でしか出来ないことを持って、このお話の強度に繋がっていっていたんだなと
あとは、(語弊があるかもしれないが)木村家、田崎家の会話からにじみ出てくるその時の時代背景だったり、登場人物それぞれに抱えた事情を描く塩梅がすごく、良かった……最低限なようで、凄く緻密に会話が重なっていくし、説明なんてなくても、そのこさんが悲痛な顔で「そっちは危ないわ、戻ってきてちーちゃん!」と叫ぶだけで何があったかを私たちは良く知っている(めちゃくちゃゾワッとした)。
「長い正月」には当時の歌謡曲が何曲か出てくる。アフタートークでどなたかが「昔の歌謡曲にはパワーがある気がする」と仰っていたけど、それは当時老若男女誰もが何となくでも知っていたし、歌えたからなのかもしれない。どこかの記事でDa pumpの「USA」がヒットした時、「年齢関係なく『カーモンベイビーアメリカ』と口ずさめるような曲が久しぶりに出てきた」というのを読んだことがあるけど、曲の分かりやすさだけではなくて、テレビのあり様や音楽を聴く選択肢が幅広くなった現在では、なかなか「時代」や「また逢う日まで」のような曲は生まれてこない。カラオケで、家族全員が知っていて歌えた曲。その曲には家族の思い出が紐づいている、という仕掛け(?)も、物語の強度だったり、感情の起爆する所に繋がっていたように感じた。
時間も思い出も自在にできるから音楽は凄いなあとか、ミュージカルを見ているわけでもないのに思った。でも、曲の使い方はミュージカルっぽかったよね?アナ雪は「雪だるま作ろう」一曲でアナとエルサの幼少期を描いたけど、長い正月では「時代」で木村家の家の記憶をフィードバックしていたし、「2億4千万の瞳」で10年を描いていたし。ジャパーン
役どころでは、春彦さんが好きでした。皆そうなんじゃないのかな。おもむろに歌いだした「また逢う日まで」がでたらめに上手くて笑っちゃった。
長いこと木村家を見守っているという立場なのが、凄く好きでした。あの家が形になった存在だったのかなと思ったけど、そうでもなかったかも。少なくともお話を通して流れている優しさや郷愁を抱えているような役で良かった。あの朴訥とした感じが魅力すぎる。
あとは、私は恐らくすみさんの人生を歩んでいくだろうと思うので、他人事ではなく観てしまった。「長い正月」というウルトラCのタイトルは、すみさんの立場で考えると身に迫る。
子供の面影から見えるかつての父母の姿だったりとか、昔の会話を思いだして一人笑ったりだとか、そういうささやかなことがとてもドラマチックに思えていちいち込み上がっちゃったのは、役者さんの力が大きかったからだと感じる。みんな……すごかった……
最後に自分の話。
私の祖父はカメラが好きで、たくさんのアルバムが祖父母の家にあったので、毎回それを開くのが楽しみだった。写真の中にある笑顔から見える家族の歴史。「長い正月」を観ていて、その感覚をおもいだした。
うちにもカラオケがあって、小さいころ姉と歌った記憶がある。多分「ドレミの歌」を歌ってたと思う。
小3の時に大好きだった祖父が亡くなった時、祖母が「○○(私の名前)ちゃんが死んだらおじいちゃんが『よう来たな』って言ってくれるよ」と言ってくれたのを今でも覚えていて、だからすべてが終わって暗転した後の台詞にわかりやすく泣けてしまった。
そういう、自分の中にある良いこと悪いこと含んだ思い出をそっと暖めてくれるようなお芝居だったように思います。
観られて良かった!